2010年2月に母娘で31日間フランスとスペインへ行きました。
こちらはその旅行記②です。

旅行記①はこちらをご覧ください。
カタルーニャ州の州都でスペイン第2の都市、バルセロナに到着しました。
1か月の旅も中盤にさしかかり、母もだいぶ疲れがたまってきたようです。
母を部屋に残し、自由行動することも多くなってきました。
バルセロナでは9泊しますので、「良いお部屋を…」と探していたところ、思いがけずBooking.comで「ホテル・ダンテ」のジュニアスイートを40%オフで手配することができました。

何より気に入ったのはテラス付きだということです。

食事はおかゆや味噌汁、カップ麺なども持っていきましたので、夜出歩きたくない日は部屋食としました。
トラベルポットはとても重宝しましたので、このような旅をされる方はおすすめです。
ウナ・ミカ・デ・ハポのお弁当もテラスでいただくと格別です。


目次
15日目(サグラダファミリア・サンジョセップ市場)
本日はサグラダファミリアへ行きます。

この当時はまだまだ工事真っ最中です。
完成目標はガウディ没後100年の2026年ですが、並行して修復も行われていますので、2256年前後といわれています。

完成イメージはこちらの動画(音声付き)がわかりやすいので、ご紹介します。
完成時には高さが今見よりも1.5倍以上になるということで、非常に楽しみです。
1978年よりサグラダファミリアの彫刻制作を務めている建築家の外尾悦郎さんもお見掛けしました。
トレードマークの帽子をかぶり、ダンディです。
観光後は「セルべセリア・カタラナ」でランチをしたり、サン・ジョセップ市場へ行きました。



16日目(水族館・サンタカタリーナ市場)
本日は水族館へ行きました。
引用:アクアリウムHPより

欧州最大規模で地中海の魚類展示に関しては当時世界一でした。

80mの水中トンネルが人気です。

「セッテ・ポルテス」で昼食を済ませた後は、サンタ・カタリーナ市場を散策します。

こちらはピカソの壁画がある「カタルーニャ建築協会」です。
サルダナの踊りや祭りの様子を描いたそうです。

スペイン南部のマラガで生まれたピカソは14歳からの9年間をバルセロナで過ごしました。
旧市街には中世の貴族の館を改装した「ピカソ美術館」があり、ピカソの少年時代や初期の作品が展示されています。
この付近はスリが多いので、移動の際には気を付けてください。
17日目(ランブラス通り散策)
母は市場巡りが好きなので本日もサン・ジョセップ市場へ行きます。

大聖堂は工事中でした。
13歳で殉教したバルセロナの守護聖エウラリアが祀られています。

日曜の正午は聖堂前で民族舞踊「サルダーナ」が踊られます。
18日目(グエル公園)
カサ・ミラ近くのバス停からグエル公園へ行きました。

昼食はサグラダファミリア前のケンタッキーです。


窓際の席に座るとこのようにサグラダファミリアが見えます。

ホテル近くのパン屋さんでドーナツを購入し、テラスでいただきます。

ヨーロッパでは湯沸かし器がないホテルも多いので、トラベルポットは大活躍です。
19~20日目(バルセロネータ・コロニアグエル)
今日も晴天です。
バスで海岸方面(バルセロネータ)まで来ました。

向こうにコロンブスの塔が見えます。

骨董市を眺めたり、海岸を散策します。

トイレ休憩がてら、海岸沿いのクラブで休憩しました。

昼食は「チャペラ」でピンチョスをいただきます。

翌日はコロニアグエルへ行きました。
1908年に着工されたものの、6年でガウディがサグラダファミリアに専念するために設計から手を引いた未完の教会です。

まだ誰もいませんが、日曜礼拝の11時前になると続々と地元の方が集まって、ほぼ満席となりました。


21~22日目(大雪・列車運休)
前日のコロニアグエルもかなり寒かったのですが、本日バルセロナで記録的大雪が降りました。

一日部屋でのんびりします。
今までの書類やレシートなどがたまっていたので整理します。
ジュニアスイートにはPCやCDコンポ、ジャグジー風呂もあります。
翌日の夜、夜行列車エリプソスでパリへ出発するため、チェックアウトを済ませて最後のサグラダファミリアへ行くつもりでしたが、母が少し風邪気味でしたので、レイトチェックアウトに変更しました。
これで18:00まで部屋は使えるようになります。
私は一人で観光です。
初めてカサ・バトリョに行きました。

サグラダファミリアも朝日を浴びて輝いています。


グエル公園は雪が解けて水浸しになっていました。

夜、チェックアウトを済ませて夜行列車に乗るためフランサ駅へ向かいましたが、大雪のため運休となりました。
ホテルへ戻り、部屋はそのままだったため無事泊まることができました。
23日目(バルセロナ→パリ)
翌朝サンツ駅のJCBカードの代理店に行き、パリまでの飛行機を手配しました。
サンツ駅ではエリプソスの払い戻しもできました。
一連のトラブルもつたない英語で乗り切ったのですが、今回ほど自分の英語力のなさを痛感したことはありません。
何とか事なきを得ましたが、日本に戻ったら英語を勉強し直そうと強く思いました。
ある程度読み書きはできるのに話せない…、現在こちらを購入して、毎日少しずつ取り組んでいます。
バルセロナ・プラット空港では以前から食べたかった生ハムのサンドイッチのファーストフード店「パンズ&カンパニー」で昼食を済ませました。


あれよあれよと飛行機に乗って、オルセー空港へ向かいます。

エリプソスでは約13時間近くかかる移動も飛行機なら1時間半です。
母は前回のエリプソスで乗り物酔いしていましたので、飛行機で良かったと申していました。
私はまた別の旅行の機会にエリプソスに乗ろうと考えていたのですが、この後エリプソスが廃止となってしまい、非常に残念です。
宿泊先のホテル「オ・マノワール・サンジェルマン」はサンジェルマン・デ・プレ教会のすぐそばです。


スーパー「モノポリ」や「エリックカイザー」のパンを購入して、夕食は部屋食です。

24日目(オルセー美術館)
本日はオルセー美術館へ行きます。
セーヌ川沿いに進み、ホテルから20分程で到着です。


昼食は中華料理「ミラマ」でいただきました。

25日目(シャルトル)
本日はシャルトル観光です。
このシャルトルとコロニアグエルが今回の旅行で一番寒かったです。

フランス最古のステンドグラスが見事です。


26日目(サクレクール寺院・サンシュルピス教会)
本日はサクレクール寺院へ行きました。

夕方、ジョラール・ミュロのお惣菜を買うついでに、サン・シュルピス教会へ立ち寄りました。

ドラクロワの作品があるので日程に組み込みましたが、調べたところ日曜のミサのパイプオルガンが素晴らしいということで、こちらにも参加しました。
また行きたいと思えるほど素晴らしいオルガンの響きでした。

ジョラール・ミュロのお惣菜もパンもさすがの味で美味しいです。
27日目(ラスパイユ市場)
本日はラスパイユ市場へ行きました。
ラスパイユ市場ではセミドライいちじくや蜂蜜飴、ゲランドの塩を購入しました。

昼食は「ラス・ドゥ・ファラフェル」でコロッケサンドの昼食です。

28日目(ランス)
本日はフランスの新幹線TGVでランスへ行きました。
インターネットでeチケットを発券して行ったので、乗車も簡単です。

シャンパーニュの街として有名で、ランス大聖堂には微笑みの天使といった彫像やシャガールのステンドグラスがあります。
ステンドグラスはどれも見事でした。


帰りにデパートに立ち寄り「ラデュレ」のケーキやマカロン、お土産にキノコを購入しました。


29日目(マルモッタン美術館・セーヌ川クルーズ)
これまでオランジェリー、プラド、ルーブル、オルセーと観てきましたが、最後を飾るのはマルモッタン美術館です。

ナポレオンに仕えた公爵マルモッタンの屋敷跡で、マルモッタンは絵画の収集家でした。
『印象・日の出』、『睡蓮』や『ルーアン大聖堂』などモネの作品が多く所蔵されています。
約27億円ともいわれる『印象・日の出』は1985年に盗まれましたが、余りにも有名な名画で買い手がつかず、5年後にコルシカ島で発見されました。
これが宣伝となり、世界中から美術ファンが訪れるようになったそうです。
引用:Wikipediaより
館内は写真撮影が禁止されていました。

マルモッタンは父親の莫大な財産を継承したことで、それまでの議員の仕事を辞めて美術品の収集に傾倒するようになったそうです。

鑑賞後はバスでオルセー美術館前まで行き、バドビュス(水上バス)に乗りました。


エッフェル塔の近くで下船します。
天気もいいのでエッフェル塔が映えます。

「ミラマ」でお腹いっぱいの昼食でしたので、夜はシンプルにサラダとパンで部屋食です。


最後の夜にしては寂しい食事でした。
30~31日目(パリ→成田)
とうとう最終日です。
長かった旅も無事に終えることができました。
JL406便18:05発-翌日14:00成田着です。

空港の「PAUL」で昼食です。



「メゾン・ド・ショコラ」がありましたので、今回の旅で美味しかったエクレアとお土産を購入しました。

イートインが可能です。

この後嬉しいサプライズがありました!
ビジネスクラスにアップグレードされたのです。
ダブルブッキングがあったのでしょう。
引用:JALHPより
ゆったりしたシートでアミューズからシャンパンでいただきます。

和食にしました。8種類の前菜です。
メインは鴨ロース煮です。
久しぶりの和食でホッとします。

デザートはザバイオーネです。

朝食はおかゆにしました。

最後にゆったりとしたシートで帰国することができ、二人にとってこの旅がさらに思い出に残るものとなりました。
最後までご覧いただきありがとうございます。